少子化の原因は、子供の死亡率の低下だ。

 より根本的には「子供に充分な投資をしたい」というヒトの習性である。

 子供の死亡率が高い時代には、親たちは「子供1人あたりの投資を最大化したい」という欲求と「子供が死ぬリスク」との均衡する点で、出生数を決定していたはずだ。しかし現在、自然界ではありえないほど乳児死亡率が低下して、ヒトはリスクヘッジとしての出産をしなくなった。結果、合計特殊出生率が低下して、少子化が起きた。

 ヒトは「子供に充分な投資をしたい」という習性を持つ──。

 この仮定にもとづけば、世帯所得と子供の数が比例しない理由や、非婚化・晩婚化の理由をうまく説明できる。

 リスクヘッジとしての出産をしない場合、子供1人あたりへの投資を最大化したいという欲求だけが働く。したがって、どんなに世帯所得が増えても、追加で子供を持とうとはせず、すでに産まれた子供にリソースを集中させようとする。だから世帯所得が増えても子供の数は増えない。

 また子供に充分な投資ができないと判断した場合、ヒトは子供を作らない。充分なリソースを持たない相手は、パートナーとして魅力を感じるのが難しい。そのため、結婚にも踏み切らない。現代社会では、子育てのリソースとしてカネの果たす役割が大きい。だから世帯所得が一定水準以下では、ヒトは出産をためらうし、結婚もしなくなる。

 子作りをしたくなる所得水準は時代によって変わり、現代の日本では年間所得500万円〜600万円あたりだと思われる。



 ここで、サラリーマンの平均年収の推移を見てみよう[30]。

 サラリーマンの年収の年収の統計はいくつかあるが[31]、いずれも2008年(平成20年)のリーマンショックの影響で下がり、以前の水準に戻っていないことを示している。また500万円は超えていない。日本の就労人口の8割以上がサラリーマンだ。子供が欲しくなるほどのカネを持っている人が、今の日本にはほとんどいない。

 少子化の根本的な原因が「子供に充分な投資をしたがる」という性質だとしたら、誰もが「充分な投資ができる」と思えるようになれば、少子化は解消できる。子育てのコストを引き下げ、若年層の世帯所得を引き上げればいい。

 たとえば日本では妊娠・出産には健康保険が効かない。なぜなら、病気ではないからだ。老人の関節痛は保険で保護するに値するが、出産は自己責任という発想なのだ。子供が産まれてから独り立ちするまで、あらゆる面で日本はハイコストだ。子供の医療費や教育費はできるかぎり引き下げるべきだろう。

 また世帯所得の引き上げも重要だ。日本の労働組合は高度経済成長のころに労使協調路線を取るようになった。賃上げをほとんど要求せず、また非正規雇用の増大にも沈黙を守ってきた。これは企業側が、労働市場のプライスメイカーになったことを意味している。労働市場の自由競争をうながし、労働の価格を適正化するには、労働者が賃上げを要求しなければならない。

 ただし、サラリーマンの給与増には限界があるだろう。労働分配率は世界中で低下している。資本家は利益の少ないときは賃下げを求めるが、利益が増えたからといって人件費を増やそうとしない。労働分配率の低下は世界的なメガトレンドであり、この流れに逆行するのは簡単ではない[32]。

 したがって世帯所得を引き上げるもっともかんたんな方法は、女性の雇用状況を改善することだ。夫1人が収入源では、世帯所得500万円を達成するのは難しい。20代なら非現実的と言っていいだろう。しかし夫婦2人が定職についていれば、比較的かんたんにこの水準を達成できる。少子化対策のいちばんの処方箋は、女性労働力の活用と、出産・育児が機会損失にならない仕組みの構築だ。

 


 電車の優先席は「逆差別」だ。しかし優先席があることに疑問を抱く人は少ない。政治的・倫理的に正しい措置だからだ。女性の雇用促進についても、優先席と同様に、積極的な格差是正措置を行うべきだ。

この前成人式帰りと思われる袴姿の集団が夜のアーケード街で羽目外して騒いでた。
人数はそれ程多くないんだけど店の前に吐いたり大声で話し合ったりしてて
本当に五月蠅かった。それで住居と店舗を兼ねてる人達が外に出ていって
注意したんだけど全然話を聞かない。おばさんとかが
「貴方達大人でしょ!」とか「成人として恥ずかしくないの」とか窘めても
へらへら笑ってるだけ。その内逆切れし出す奴も居て警察呼ぼうかって雰囲気になった。
その時今まで注意していたおばさんのお母さん(80から90歳ぐらいが)
「仕方ない、仕方ないよ。八年前は小学生だったんだよ?」と穏やかに笑って言った。
そのお婆さんのほのぼのとした様子に住人は何故か「そうだよね」と怒気を和らげ
成人連中は恥ずかしかったのかその儘アーケードから外れて行ってしまった。
自分は「大人になった癖に」とか
「歳ばかり食ってガキじゃねーか」とかばかり思っていたので
お婆ちゃんの発想に目から鱗が落ちた。

「荷物をいっぱい載せた車を引いている男がいたが、車がぬかるみにはまって、どうしても抜け出せなくなった。汗びっしょりになって、車をぬかるみから出そうと苦しんでいる男の様子を、仏様がしばらく見ていらしたが、指でちょっとその車にお触れになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、男はカラカラと引いて行った。男は仏様の指の力にあずかったことを永遠に知らない。自分が努力して、ついに車をぬかるみから出せたのだ、という自信と喜びとを感じながら、車を引いていった」

 子供たちが成功体験によって、やる気のスイッチを入れるためには、周りの大人のほどよいサポートが必要です。かわいそうだからと初めから全部やってあげたり、教えてしまったりしては、達成感も自信も生まれません。苦労しているのを見て手を出したくなっても、そこはぐっと我慢して、仏様がしばらく様子を見ていらしたように、まずは自力でやらせてみる。

批判は簡単だけど、ブラック企業と言われる存在を一つでも減らすためには、「居酒屋のオーダー違い」「コンビニの臨時休業」「宅急便の遅配」「ウェブサイトが丸一日サーバーダウン」などなどに対して僕らが「しゃーねーなー」とおおらかになる必要があると思うのです。ほんの30年ほど前みたいにね。

今朝、夫から凄く良い言葉を聞いた。
子供がモタモタしてる時、やらんで良いことやってるーって思う時、手元を見るからイラつくんだ。でも顔を見るとね、目を見るとね、とても集中してやってるんだよ。一生懸命なの。だから顔をみてるといくらでも待てる、と。

 せっかく買ってやったゲームをほとんどプレイしないままやらなくなってしまうことが、こどもにおいてはよくある。おとなにおいては更にもっと比べられないほどよくある。
 それは、別に飽きてしまうからではない。ものを大事にしていないわけでもない。
 一つには、思った内容と違うということもあるだろう。実際にプレイしてみたら自分に合わないということもある。バトルシステムが難しくて進めないことだってある。友だちがいないとつまらないソフトだった可能性もある*2

 憧れて入学したはずの私立学校に通いたがらないこどもがいたとする。親はそれをいさめるだろうか。あなたが選んだ学校だ、お父さんやお母さんが稼いだお金だと、おじいちゃんの老後の資金を切り崩したのにと、一方的に叱責したりするだろうか。もちろんおとなとて感情を持つ人間である。そういうときもあるだろう。しかしながら世の多くの保護者の方にあっては、こどもの心を大切にしたいと願っている筈である。こどもが健やかに過ごせるようにと祈っているはずである。それ故に、なぜ学校へ行きたくないのか、本人から事情を聴き取り、学校へ赴き担任と話をし、どうしても通えなければ転校だってさせてあげるのが親ってもんでしょーが!*3

 なぜこどもがゲームをすぐにやらなくなることは腹が立ってしまうのか。それは、自分が買ってあげたものを、自分が思うように遊んでくれていないというだけの理由ではないか。こどもだって一人の人間だ。誰かの思い通りにいかなくても、それで正しいと思えないのかと言いたい。

 そのこどもが欲しくて欲しくて買ってもらったはずのゲームをなぜすぐにプレイしなくなってしまったか、一度でも聞いたことがあるのかと問いたい。
 難しくて進めることができないのであれば攻略本を買って欲しいし、一人で遊んでも楽しくないゲームだというのであれば是非一緒に遊んであげてほしい。
 やってみたら合わなかっただけのゲームであれば、それはそれでそっとしてあげてほしい。

 ゲームは楽しくやるものなのだ。苦行にしてどうする。世の中には、楽しい一辺倒の物事が存在していてもいいではないか。大人もそれを望むのだ。こどもだってほしいに決まっている、完全に自由な、本当に楽しいだけの、そんな時間と空間。