近所のお坊さんの話。
「時として、非常識やマナーが悪かったり、人道的に明らかにおかしい人、と遭遇した際には、腹立たしく思うのではなく、この人は輪廻転生の世界で、前世は人以外のもので、まだ人としての徳を積む事が浅く出来てない可哀想な人と思いなさい。そう思えば腹立たしさも収まる」と。

人間が写っていない写真が見られない。文章がない写真集を長時間見ていられない。説明がない展示物は見られない。ボーカルがない音楽が聴けない。誰かが解説していないと、自分の感動が確かめられない。そういう人が多いのだ。

勤勉で緻密な性格は日本人の優れた特質だが、小さなミスを責め立てる一方で、大きなミスに対しては“仕方ない”とあきらめてしまうことも多い。小事にこだわり、大事を見過ごしたり大切にしなかったり諦めたりするのは日本人の大きな欠点のように思う。

「先生は女性が社会に出て仕事をすることを、どう思われますか?」
「どうも思わないね。そもそも、男女平等と職業とは無関係だ。つまり、男と対等になるために、仕事をするためにナンセンスだと思う。それでは仕事をしているものが偉いという、馬鹿な男が考えた言い訳を認めることになる。いいかい、仕事をしていても、遊んでいても、人間は平等だ。問題をすり替えてはいけない。」
(詩的私的ジャック P.72)

「人間は、恥をかくのが苦手なんだ」フォークを置いた悟が静かに述べる。「恥をかくと、むっとするようにできている」 「できている?」由紀夫は鸚鵡返しに言った。 「恥をかく、ということは、自分の弱さが晒されたことになる。そうだろ? だから、反射的に、むっとなる。自分を強く見せなくてはならないからだ」

おんなじ内容のことを言うにしても、
 「こんなふうに悪くとる人がいるだろうから」と、
 慎重に慎重に限りなく注意深く言おうとしたら、
 言えることはほんとに少なくなってしまいます。
 逆に、「わかってくれる人がきっといるはずだ」と、
 楽天的に文章を書いたら、多少の違和感があるにしても、
 きっとその人らしいなにか人の心に響くようなことが
 言えるんじゃないでしょうか。
 
 あらゆる失礼を省みずに好き放題でものを言う、
 というのではないですけれどね、
 ある程度楽天的に、
 「自分を受け入れてくれる人がいる」
 と信じて、なにかを表現することが、
 とても大事なんだよなぁと、思います。

「出世願望はないし、会社の為に身を粉にして働く気もない。ほどよく働いてそれに見合ったただ不自由なく暮らしているだけの給料さえ貰えればいい」 これがゆとり世代の考え方であるし、私はこの考え方が正しいと思っている